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2024.1.7

能登半島地震被害の支援活動5日目

2024年1月7日 日曜日

AARジャパンと共同で開始した能登半島地震被害の支援活動5日目終了しました。

AARのメンバーはこれまでの大原さんから岡山さんにバトンタッチとなりました。

大原さんは珠洲市から輪島への道が通ったことから、輪島市港公民館に水、毛布、カイロ、生理用品等必要とする支援物資を届けに行かれました。

情報力も現場力も豊富なAARのお二人との共働ほど心強いものはありません。

さて、今朝は昨日まで力仕事も調理もこなしてボランティア参加をしてくれた、元パンクラス選手の内村洋次郎さんを、宿泊エリアではまだバスが運行休止のため、主要駅まで送るチームと、買い出しチームの二手に別れての活動スタートでした。

買い出しは、往路の時間がかかりすぎるため、毎日行かずに2日に一度の割合で行います。宿泊先エリアも断水なのでスーパーの品揃えが不安でしたが、二手に別れたのが功を奏し、それぞれが、見つけられる材料で何とか買いそろえることができました。しかも、今日は最速記録、3時間半で現場入りできました。

白馬から来てくださったアラキさんはりんご40キロ支援してくださった上、お手伝いしてくださいました。

楽あれば苦あり。。。

拠点のテントが昨晩の大雨で折れた、と朝連絡がきていましたが、行ってみると新しいテントのしたにテーブルも移動されていました。しかし、すべて保管していた段ボールが夜の間に水に濡れてしまって初日と同じ作業場所作りからのリスタート。。。結果、夕食準備はいつもの15時半となり、作り出す頃には気温が下がって雪まで降ってきて嫌な予感です。

しかし、苦あれば楽あり!

ありがたい秘密兵器を手に入れました。

その名は『おまかせくん』。

300食を一気に作れる調理釜です。

別のエリアに炊き出しにきていた風組関東の方々が、もう一台あるから、と運んできてくださったのです。

この釜、お湯も一瞬で沸く!

今日も美女軍団の皆様により、いっきに野菜やハムはみじん切りになり、混ぜ込みチャーハン、水餃子つきを提供しました。 

帰路は吹雪の雪道との戦いでした。予想より積雪があり道路の亀裂が見えない夜道を明日の活動のためにセーフティーファーストで戻りました。

昼食

提供なし

但し、支援物資のアルファ米と支援物資のパンが朝昼兼用で用意されています

夕食メニュー;水餃子つき混ぜ込みチャーハン

提供数 計400食

・避難所Ax300食

・避難所Bx100食

Jan. 7th Sun. 2024

Western earthquake support day 5. This morning, we split into 2 groups. One group to buy ingredients and the other to send Yojiro Uchimura (athlete) who helped us a lot physically and cooking.

Going grocery shopping, we go once in 2 days since the traffic is bad. We were concerned that there may not be enough ingredients but luckily since we separated into 2 groups, we were able to find ingredients in 3.5 hours.

Thank you so much Akira for providing us with 40kg of apples and also helping us. We truly appreciate it.

We got a very useful tool today, “Omakase-kun” (a pot which can cook up to 300 meals at once). We provided with fried rice and dumplings for dinner. In total, we made 400 meals ( 300 for shelter A and 100 for shelter B)

2024.1.6

能登半島地震被害の支援活動4日目

2024年1月6日土曜日

AARジャパンと共同で開始した能登半島地震被害の支援活動4日目終了しました。

昨夜は七尾市での宿泊となり、物理的距離が近いので油断したら帰路の大渋滞で、5時間かかる始末でした。

いつパンクしてもおかしくない路面状況を往復するだけの移動に長時間拘束される、というのは東日本大震災から活動しているメンバーでも初の体験で、正直なところ、メンバー間で弱音もでます。

そんななか、昨日のエンセン井上さんに続いて、今日は名古屋から我々がお願いした不足している支援物資と衛星を使ってWi-FiをつなぐStarlinkを運ぶためにわざわざ名古屋から原田夫妻が来てくださいました。同じように渋滞と悪路を耐えてきてくださり、本当にありがたいことです。

支援物資と言えば、今日、エンセンさんからの支援品を避難所A、Bにお渡ししている時に、自衛隊が支援物資を初めて届けにきました。

ここ数年の被災地支援では各避難所にピースプロジェクトがつく時は、最低でも非常食は用意されていて、どちらかというと物資過多な状況を見てきただけに、

元旦のり災から、1/6まで給水以外なにも届かないということが各避難所までの道路の通行状況が悪条件となり、こんなにも影響するとは、支援する側としての学びでもありました。

さて、本日はランチは暖かいおうどん、夜は洋食メニューでクリームシチューでした。

『今日も美味しかったよ』と声をかけてくださる方々が多く、私たちを励ますパワーになりました。

昼食メニュー;温うどん

提供数 計400食

・拠点避難所A、近隣在宅避難宅x300食

・近くの避難所Bは支援物資が届いたため、提供なし

夕食メニュー;クリームシチュー、ごはん

提供数 計400食

・避難所Ax300食

・避難所Bx100食

Jan. 6th Sat. 2024

Western earthquake support day 4. Last night, we stayed at Nanao city and since it was closer, we underestimated. On our way back, the traffic was terrible and took us 5 hours to come back. We don’t know when we’ll get a flat tire and we have never experienced this kind of stress.

However, yesterday Harada couple came all the way from Nagoya to provide us with Wi-Fi and we really appreciate it.

Today’s meal was warm udon. We provided with 400 meals in total. For dinner, we made cream stew with rice. This as well, 400 meals in total. 300 meals for shelter A and 100 meals for shelter B.

2024.1.5

能登半島地震被害の支援活動3日目

2024年1月5日金曜日

AARジャパンと共同で開始した能登半島地震被害の支援活動3日目終了しました。

昨夜、ホテル着いたのが23時過ぎ、食事して風呂入って寝て、6時起床7時に集合と言うスケジュールでした。

私たちの活動が『被災者ファースト』なのは充分理解してしています。「もっとやれる事あるだろう」、「身内にももっと優しくすべきだろう」、『もっと笑顔で‼️』等々やらねばならないのは分かっています。

中々思い通りにいかなくて悔しい限りです。

避難所について記します。

今回の珠洲市の避難所はまさに東日本大震災の時と同じです。

断水、停電、食料も物資も届かずの状態です。

でもこの避難所はコミュニティ力が半端ありません。以前熊本地震の時に書きましたが、コミュニティ力の高い避難所は全体がまとまって見えるし、温かい気でおおわれています(熊本の飯野小学校、倉敷の真備中学校と同じ)。

今回の避難所ではトイレ当番が決まっています。

大はビニール袋に入れて排泄するんですが、一日数回当番の人がそれをまとめて処分しています。

東日本大震災の時、誰も掃除、処分しない便器にこれ以上ひとかけらも乗らない程の排泄物が盛り上がっていたのを思い出します(汗)

本日は夕食のみの提供になりました。

メニューは『中華丼』、差し入れていただいた野菜を使って、野菜たっぷりの『中華丼』に仕上げました。

避難所300食、外の避難所100食、合計400食提供させていただきました。

今日も避難所の“美女軍団”にボランティアとしてお手伝いいただきました。

本当に助かっています。

それから、宿泊場所について本当にたくさんの情報いただきありがとうございました。

おかげで今日は七尾市の施設に泊めていただく事が出来ます。

ただし、断水なので寝るだけです(暖房もありません)。

協力、認定NPO法人AARジャパン

Jan. 5th Fri.2024

Today was day 3 for the support for the western earthquake support with the AAR Japan. The shelter is nearly the same as the one we used for the Eastern Japan earthquake that occurred 13 years ago. No water, electricity not enough food.

Today’s meal was only for dinner. We provided Chinese bowl (starchy rice bowl) with lots of vegetables. We made 400 meals in total with 300 meals for the shelter, 100 meals for exterior shelter.

We appreciate everyone for the sharing of information and today, we will luckily stay at a facility in Nanao city however without water and heat.

2024.1.4

能登半島地震被害の支援活動2日目

2024年1月4日木曜日

AARジャパンと共同で開始した能登半島地震被害の支援活動2日目終了しました。

昨夜遅くまでの作業&車中泊、そして食材が足りないと言う事もあり、本日の現地での作業は午後2時で切り上げ、高岡のホテルへ向かいながら買い出しを行います。

昨日から避難所にいる方やご家族から肉、魚、野菜の差し入れをたっぷりいただきましたので、今日のランチには鰤のふりかけ混ぜ込みおにぎりと“具沢山たまごスープ”360食を夕食には“さつまいもの炊き込みご飯”&味噌汁360食を仕込んで来ました。

今朝「ピースプロジェクトの人たちはどうして自衛隊よりも早く来れたの?」と質問されました。答えは自衛隊の人たちが懸命に道路復旧工事してくれたからなんです。

珠洲市の避難所から高岡まで片道9時間かかりました。非現実的です。

皆さんからいただいた情報も電波悪くて見れていません。

January 4th Thursday 2024

We finished Western earthquake support day 2. Since we worked till late last night , stayed in the car and didn’t have enough ingredients, we rounded up at 2 P.M. and bought ingredients on our way to the Takaoka hotel.

We were luckily provided with a lot of meat, fish and vegetables from the family staying at the shelter so for lunch we made 360 meals with rice balls with Fujikake (rice seasoning) and egg soup. For dinner, we made rice with sweet potato and miso soup.

This morning, we were asked why we were able to arrive before the self-defense forces. This is because the self-defense forces worked so hard to restore the roads. We are very thankful to the forces. Also we are not being able to look at informations that everyone has sent us due to the bad radio waves.

2024.1.3

能登半島地震被害の支援活動 1日目

2024年1月1日に発生した『能登半島地震被害の支援活動』初日終了しました。

AARジャパンと共同でスタートした今回の活動ですが、1月2日の朝にレンタカーを借りて現地に向かう準備しましたが、高速道路の通行止め等もあり、富山にたどり着いたのが午後9時、道路状況が悪いと言う情報があったので、当日の活動はここまでとしました。

1月3日の朝、東京からのスタッフと合流して珠洲市の避難所を目指しましたが、あちらこちらで道路片側通行で規制があり、遅々として進まず、冷たい雨も降ってくる始末。

珠洲市に近づくにつれて道路状況はひどくなる一方です(私の経験では絶対に通行止めになる状況です)。

元々目指していた避難所まであと少しと言う所で橋が浮き上がった状態で行けず、その後地元の方に道案内していただき当該避難所を目指しましたが道路すべて寸断されていて到達出来ませんでした。

「代わりに300人が避難している避難所に連れて行くから」とご親切な御仁のおかげでなんとか今回の拠点に辿り着く事が出来ました。

辿り着いたのが午後6時、責任者の方から承認を得て、大至急で準備開始、「他の避難所にも配りたい」とのお言葉に応えた結果360食の豚丼を用意させていただきました(本当は牛丼の予定でしたが、富山のスーパーに牛肉なく変更)。

避難所におられた方が進んでボランティア参加してくださいました、感謝しかありません。

本当にバタバタの2日でした。

夜は通行止めの為、今日はこのまま避難所に停めた車で寝ることにします。

We finished the day one Western earthquake support which occurred on January 1st 2024.

After the Western earthquake in Japan on January 1st 2024. We started this action with AAR Japan. We rented a car on the morning of January second but due to the road blocked and by the time we arrived at Fuji, it was 9 P.M. so we decided to stop there for that day.

On the morning of the third, we met the staffs from Tokyo and started heading towards Suzu city. The traffic got worse as we got closer to the city. A kind person told us that there is a shelter where 300 people are staying and took us there. We arrived there at 6 P.M. and started preparing with the approval from the supervisor. We were able to make 360 meals of pork bowl including meals for other shelters. It was a swamped 2 days but some people at the shelter offered to help as a volunteer and we really appreciate it. Thank you so much. Since the roads are blocked at night, we will sleep in the car that we parked at the shelter.