活動レポート

2015.7.2

岡本 博

岡本 博

(トイズマッコイ代表)

“ピースマーク”は永遠のアイコン”
私たちにとって“ピースマーク”はずっと不変のテーマであり、アイコンなんだよね。
60年代、70年代、人々は“ピースマーク”と共に生きてきた訳だし、一緒に時代を生きてきた仲間みたいなものだね。
昨年の「ピースプロジェクト展」では「エノラゲイ」(広島に原爆を投下した爆撃機)をモチーフにして、皆に「本当のピー
ス」を考えてもらいたくてあの作品にしたんです。
岡本博-photo2エノラゲイのパイロットの中でも「やはりあれは大量殺戮であった」という意見と、「1回の爆弾で戦争を終えることが出来た
意味のある爆撃である」という2
つの意見に分かれたといいます。
しかし、結果は結果なのです。
「果たして本当に平和はやってきたのか?、何が平和なのか?」
戦争はきれいごとでは済みません。
誰かが楽をできるようになるには、誰かが苦しまなければならないのです。
昨年の作品は、そういうことを考えて貰えるきっかけになれば良いと思いました。
今年は今年でまた何かを考えたいと思っています。

“ピースプロジェクトについて”
世の中には「自分のことしか考えない」人間が多すぎます。
国や政府がしっかりと「人の痛みがわかる人間」を育てれば、困っている人々が増えなくて済むはずです。
国や政府がやらないから我々一人ひとりの意識で、出来ることをやっていくしかないと思っています。
そういう意味でも「ピースプロジェクト」に期待しています。

岡本博-photo
<プロフィール>
岡本博(おかもと ひろし)
愛知県出身
イラストレーターとして活動する傍らで、ミリタリーウェアのリプロダクトなどを手がけ、1999年にアメリカンアパレル&バイクギアショップ「ト
イズマッコイ」を設立。
◆「トイズマッコイ」HP http://www.toys-mccoy.com

2015.7.1

大森はじめ

大森はじめ

(パーカッショニスト/東京スカパラダイスオーケストラ)

僕が“平和”に対して貢献できること、 それは音楽です。
ライブをすることによってオーディエンスが最高の笑顔を見せてくれること、
それは僕らにとって至福の時であり、これこそが“平和”である瞬間だと思うのです。
音楽には説明はいりません。言葉の壁もあり大森はじめ-photo2ません。僕らがライブを行っているヨーロッパでもアジアでもアメリカでも、
みんな僕らの音楽を聴いて体で喜びを感じてくれるのです。
その笑顔こそが“平和”に繋がると信じています。

これからもみんなの笑顔が見れるように、僕にできることをやって行こうと思います。

大森はじめ-photo
<プロフィール>
大森はじめ(おおもり はじめ)
東京都出身
「東京スカパラダイスオーケストラ」のパーカッショニスト。バンドの枠にとらわれず、多くのバンドとのセッションにも参加している。
現在展開している自身のブランド“WEBHEAD”のデザインプロデューサーとして、2008年、2009年のピースプロジェクト展に作品を提供した。
◆「東京スカパラダイスオーケストラ」HP http://www.tokyoska.net
◆“WEBHEAD” BLOG 
http://ameblo.jp/webhead/

2013.5.25

第8回 現地でのスケジュール-3

Roming(ロミン)でのミーティングを終えて、州都であるTorito(トリト)に向かいましたが、いきなり道路際に白と赤で塗られた石が点々と並んでいるのを発見しました。

sudan_08a

この石が”地雷原”であることのしるしです。
州都は内戦時にとても重要な地域でもあったため、北部スーダンの攻撃から守る為にも数多くの地雷を埋めたのだそうです。
中には車からほんの数メートルの所にまだ未処理の地雷が放棄されている場所があったりします。

sudan_08b

「トリトで簡単な昼食をとり、その日の夕食を手に入れるためにマーケットを視察することができました。
マーケットといっても基本的には露天テーブルに簡単な野菜(トマト、ホウレンソウ、玉ねぎ)、穀物(とうもろこし、米)そして肉(牛肉、羊肉)が並んでいるだけです。
当然冷蔵庫や陳列棚があるわけでもなく、ハエが飛びまわっているのが当たり前の状況です。

sudan_08c

sudan_08d

トリトで夕食を仕入れてから、この日の最終目的地であるイメドゥ(Imedu)に向かいました。
実はこの区間がキャンプで最も過酷な場所でした。
窓から入ってくる風はまるでヘヤードライヤーのよう、足元に置いてあるペットボトルの水はすぐにお湯のように温まってしまいます。
でも熱風に当たり続けているので、その”お湯”を飲まないとどんどん体力が落ちていきます。結局3時間くらいの道中で2リットルのボトル2本が空になりました。

またこの区間は野生の動物にも数多く出会うことができました。
ガゼール、バブーン(ヒヒ)、その他名前のわからない大きな猿などが車の前に飛び出してきたりします。

そしてやっとの思いでイメドゥ(Imedu)に到着。
予定では3時くらいに到着するはずだったのに、ついたのは5時過ぎ。
この日はミーティングが出来ず、関係者への挨拶だけでこの日は終わりました。
そして「ここが今日の宿です」と言って紹介されたのは、”ツゥクル”という現地の小屋、土を練って作った壁にカヤの屋根という極めてシンプルなものです。
水を浴び汗でベトベトになった身体をきれいにし、夕食を食べ、スタッフの方々と語らいあとは寝るだけ、、、
ツゥクルに入って、横になったとたんサウナにでも入ったような汗が出てきて、Tシャツは5分でビッショリ濡れてしまいました。
「これは眠れないな」と思いながらも、我慢して横になったら今度は「クルクル」という鳥のような鳴き声が聞こえてきます。
鳴き声の方に懐中電灯を照らしてみるとそこには”ゲッコ”と呼ばれる大きなやもりがいて、こちらをにらんでいて目と目があってしまいました。

sudan_08e

sudan_08f

ほとんど眠れない状態で朝を迎え、小屋を出てみると現地の人たちは地面にゴザのようなものを敷いて寝ていました。
さすがに現地の人も暑くて小屋の中では眠れなかったようです。

そして今回のキャンプ最終訪問地「イダレ(Idare)」に向かいました。
昨日暑さで苦しんだ道を戻っていくんですが、朝なのでまだそれほど暑くなる前にイダレに到着することができました。
ここのPHCU(簡易診療所)の隣には小さな山があります。人々は皆この山の上に住んでいます。
というより、この地域の人々は皆山の上に住んでいます。
内戦が激しい頃、夜中に突然トラックに乗った兵士が村を襲って機関銃を掃射したため、全滅になった村がいくつもあるそうです。
人々はそういった奇襲を恐れ、襲われにくく、逃げやすい山の上に移り住んだのだそうです。
内戦が終わって4年経ちますが、人々の脳裏から内戦の恐怖が消えない限り、どんなに不便でも山の上の生活を終えることはないのでしょう。

このイダレでやってはいけない失敗をやってしまいました。
遊んでいた子供たち(8人くらい)に「ピースプロジェクト」のTシャツを配ったまでは良かったんです。
真新しいTシャツに替って写真を撮って、村のボランティアの人々とミーティングをしている間にどこからともなく子供たちがわんさか集まってきました。
そうです。彼らは「Tシャツを配っているらしい」という噂を聞きつけて集まってきたんです。
でも持参した子供用のTシャツはもう1枚もありません。
結局、彼らには期待だけさせて何も出来ずにこの村を後にすることになりました。本当に申し訳ないことをしたと反省しています。

イダレでのミーティングを終えて、トリトで昼食をとりカポエタへ戻る道中とても悲しいものを見てしまいました。
20頭ほどの羊を遊牧している子供がいたんです。
最初はいつもの光景だなと思ったんですが、よく見るとその子供(10~12歳くらい)の背中にはロシア製の機関銃が黒く輝いていたんです。
聞くと、子供でも羊を盗もうとする人間には容赦なく撃つそうです。私たちの常識はここでは通用しないし、「”強く”なければ生きていけない」という当たり前が存在するだけなんです。
でも、「子供の背中に機関銃」という現実は、なまっちょろい私にはとても悲しく映りました。
《キャンプで見たもの》

sudan_08g

sudan_08i

sudan_08h

sudan_08j

sudan_08k

sudan_08l
株式会社イングラム
代表取締役 加藤勉
*次回に続く

2013.5.25

第7回 現地でのスケジュール-2

sudan_07a

カポエタに着いてまず真っ先に向かったのが「カポエタ南郡」の郡長さんへのご挨拶。続いて「国立安全警備省」の事務所、南部スーダン帰還促進事務所へのご挨拶でした。

この挨拶をしっかりとやっておかないと、「見慣れぬあいつは何者?」ということで地域での活動が何もできなくなってしまいます。

一通りご挨拶を済ませて、地域での活動がOKになります。
移動はすべて「難民を助ける会」のランドクルーザーを使います。

当然ですが公共交通手段は一切ありません。人々の移動は”歩き”です。
水を汲みに毎日2時間くらい歩くのは”日常”です。
頭の上に20キロくらいの水が入ったポリタンクを乗せて”命の水”を運んでいます。

sudan_07d

「ランドクルーザー」という名前、「ランド=大地」を「クルーズ=航海する」まさに道なき道を航海している感触を今回の視察で実感できました。
しかもエアコンは一切使いません。恐らく装備はしているのでしょうが、オーバーヒート等の理由で一切スイッチを入れることはありませんでした。

後述しますが、1泊のキャンプでロパ郡を訪問したとき、窓から入ってくる熱風は髪を乾かすドライヤーそのもの、体力がどんどん奪われ、常に水を補給し続けなければなりませんでした。

今回の視察スケジュール(概要)
1日日:郡長さん、国立安全警備省事務所、南部スーダン帰還促進事務所等への挨拶訪問。ブリーフィング。
2日目:全スタッフとのセッション(私たちの紹介を含めて)、井戸、給水塔見学ツアー。
3日目:カポエタのカトリック教会礼拝に参加(ここで現地のゴスペルソングを聞くことができ、感動しました)
4-5日目:ロパ郡へのキャンプ(詳細は後述)
6日目:WFP(世界食料計画)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、WAY STATION(帰還民受け入れ施設)、MAG(地雷除去NGO)訪問
7日目:カポエタ北郡訪問。カポエタタウンの小学校訪問。
8日目:ロキチョキオ経由でナイロビへ移動。

sudan_07b

sudan_07c

ロパ郡へのキャンプ視察が今回のメインイベントです。
下の地図右端のカポエタ南郡を出発し、ロミン(Roming)にある簡易診療所(PHCU)を訪問、現地のボランティアの人たちとミーティング、そしてトリト(東エクアトリア州州都)で昼食、その日のうちにイメドゥ(Imedu)まで移動(イメドゥ泊)。

翌日イメドゥのPHCUでミーティング、最後のPHCUイダレ(Idare)でのミーティングを終え、トリトに立ち寄ってカポエタに戻ってくるというスケジュールでした。

sudan_07e

sudan_07f

全工程約400キロなのですが、当然道路は未舗装、幹線道路から一歩分け入ると四駆のランドクルーザーでも慎重に運転しないと進んでいけない”道なき道”の連続です。

今回は乾季でしたからそれでもまだましなそうです。
雨季になると突然川が出現して、道が消えてしまうこともしばしば、土も粘土質のため、雨が降るとぬかるんで前に進むことが出来なくなってしまいます。

sudan_07g

最初の訪問地であるロミン(Roming)まではタイヤのパンクがありましたが、順調に訪問することが出来ました。

sudan_07i

PHCU(簡易診療所)を訪問し、施設を見学し(といっても小さな施設なので数分)、ボランティアに皆さんとミーティングを行いました。

皆さんから、ここに簡易診療所を作っていただいた謝礼や、井戸が出来て、それまで水汲みに数時間かかっていたのが便利になったことのお礼の言葉がありました。

そのうえで、現地の産婆師の女性から”出産時に使うゴム製の手袋が不足している”との要望が出されました。
最後にボランティアの方々全員に日本から持っていったTシャツをプレゼントさせていただきました。

このTシャツの胸には「阪神優勝」という文字がプリントされています。

数年後に日本人がこの地を訪れることがあったら、きっと「阪神優勝」Tシャツを着ている多くの現地の人を見てびっくりするに違いありません。

sudan_07h
株式会社イングラム
代表取締役 加藤勉
*次回に続く

2013.5.25

第6回 現地でのスケジュール-1

sudan_06a

AARの現地事務所のあるカポエタ(南スーダン、東エクアトリア州)はほぼ赤道の直下にあります。
当然、太陽は真東から真上に昇り、真西に沈みます。

電気、舗装されている道路、コンクリートのような近代的な建物も全くありません。
そんな中で現地の活動拠点は2007年12月に完成した「コンパウンド」と呼ばれる居住施設です。
大きく分けると仕事をこなすための事務所棟と生活するための居住棟に分かれます。
コンパウンドの広さは105×70メートル、ほぼサッカーグランドと同じ広さです。

sudan_06b

水は地下水を太陽電池で発生した電気でくみ上げて貯水タンクにためて給水します。
画像の給水塔には1キロリットルを貯めておくことができます。

sudan_06c

ソーラーパネルで発電し、給水塔のモーターをまかないます。赤道直下なのでパネルは真上を向いています。

sudan_06d

このパラボナアンテナでインターネットも使用可能です。昼間太陽がかげってしますと使えなくなってしまいます。

sudan_06e

テントで生活しました。中にはベッド、テーブル、トイレ、シャワーが完備していましたがシャワーは当然水だけ、夕方水圧が低くなると出なくなります。
夜にはゲッコ(やもり)が来訪し、鳥のような声で鳴いて目を覚ましてくれたりします。

sudan_06f

現地の事務所には3台のランドクルーザーが用意されています。そのうちの1台はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から提供されています。
当然、ガソリンスタンドはないので、ケニアに行った際に買いだめし給油します。

とまあ、何をするにも現地では何も調達できません。

後日談ですが、雨季に入ったコンパウンドに3メートルもある毒蛇”ブラックマンバ”が出現し、スタッフの一人が毒液を目に吐きかけられ、危うく失明するところだったそうです。私は見ていませんがサソリもいるらしいです。
株式会社イングラム
代表取締役 加藤勉
*次回に続く